長くもがなと思ひけるかな

きみがため 惜しからざりし 命さへ

私のきんあらファンへの歩み④

ここまで、私が嵐さんにハマるまでのお話を3回に渡って書いてきました。

今日は、『単なるファン』から『根っこの深いファン(自称)』になったきっかけの話を1つ。

あんまり明るい話じゃないし、嵐さんと関係ない私事も多くなりますので、ご了承ください。

嵐さん関連の話だけを読みたい方は、かなり下の方までスクロールしてください。




☆『俺がいるから』

私が嵐さんにどっぷりハマった2009年。
このとき私は中学1年生。

私が所属していた学年は、
一言で言えば『問題学年』だった。

不良みたいな人はあまりいなかったけれど、"先生の言うことを聞かない"とか、小学校低学年の子みたいな人が男女問わず周りにたくさんいた。

中でも私がいたクラスは多分一番酷く、何よりも担任と生徒の仲が日に日に悪くなっていった。

2学期に入ってからどんどん悪化していき、気づくと私語のない授業がほとんどない状態に。←こういうのを『学級崩壊』って言うんでしょうね(笑)

私は、自分で言うのも何だけどとにかく真面目な生徒だったから、授業中に私語をすることも、担任やへの反感に同調することもなかった。

ただ、『周りと合わせないと怖い』と思っていた時期であったため、それらを注意したり否定したりすることは怖くてできなかった。

何が書きたいかというと、
この頃は、学校に行くのが嫌でしょうがなかった(苦笑)

どんどん疲弊していく担任を目の当たりにすることも、毎日のように先生方の怒鳴り声を聞くことも、私語ばかりで意味のない授業を静かに受け続けることも、今思えばストレスだったと思う。

実際(前記事で書いた)インフルエンザにかかったときも、「学校休める!!やったー!!」と思ってたくらいだった。

家に帰って嵐さんの番組を観ることを励みに学校へ行ってました。真面目に。

でも、まだこの頃は良かった。
日記に「明日もまた先生に怒られるのか…」と書きながらも、最後には「なんとかなるさ!!がんばるぞー!!」って書いてたくらいだから。


2010年。
中1の3学期になってから、色んなことが起こった。


まず、担任とクラスの大きな衝突。

そしてそのまま姿を見せることなく、
担任が病休に入るという報告。

私にとってそれは凄くショックな報告で、「自分にできたことが何かあったはず…」と後悔した。

その先生にお見舞いの手紙を書こうという話があったときがあって、私も書いてみたのだけど、読み返すとほとんど「ごめんなさい」しか書いてなくて、それしか書けない自分が怖くなって結局渡さなかった(笑)

そのくらい私にとっては大きな衝撃だったのに、

クラスの人達は何も感じていないか、寧ろ担任がいなくなったことに喜んでいるかのようで。

そして今まで副担だった先生が担任になったものの、以前と同じかそれ以上に状態は悪くなっていった。


正直、「どれほどうるさかったか」とか「具体的にどんなことがあったか」とかは、今はほとんど覚えていない。

多分、嫌すぎて記憶から消してしまったのかと。

ただ1つ言えることは、中1のクラスには決して見えないクラスだった。


そして記憶がほとんどない中1最後の2ヵ月の中で、強烈に覚えている日がある。

忘れもしない、2月後半の金曜日。昼休み。

私は壊れた。

突然、
自分を保っていた何かがプチッと切れたかのようになった。

何もしたくなくなり、耳が遠くなる感じに…。

……「そんなこと本当にあるの?」と言われそうだけど、少なくとも私はそう感じました。


そして、動けなくなって1人教室に残っていた私の元に来て心配そうに見つめてきた担任。

「大丈夫か?」と聞かれ、自分でも自分の状態が分かっていなくて「なんでもないです」だか「大丈夫です」だかって答えた。

その瞬間、
担任は「大丈夫な訳ないだろっっ!!」って叫んだ。

そして叫ばれた途端、私は訳も分からず号泣してしまった(笑

さらに後には、
私のせいでその担任も泣いてしまったりした…。



これ以上のことはよく覚えていないけれど、
このシーンだけは本当に鮮明に覚えています。

忘れたいのに、忘れられない。

私を見つめてくる担任の目は、思い出すだけで胸が苦しくなるのだけれど。


(とりあえず公に書けるのはこれくらい笑)


その日から中1が終わるまでの1ヶ月少し。

私は 特定の人以外は自分から話しかけなくなった。『周りと会わせないと怖い』からではなく、『周りと合わせるのが怖い』から。

皆と関わりたくなくて、ひたすら感情を殺して学校へ通っていた。学校で笑うことも減った。


とにかく学校に行きたくなかったのだけど、欠席が多いと高校受験に響くと聞いたことがあり、休むという選択肢を持つことはなかった。

(まぁ、何度か保健室で休んだりはしてましたが笑) 



因みに、この話は親には一切言ってない。

理由は親に心配かけたくなかったのと、
せめて家では今まで通りの自分でいたかったから。





そんなこんなの生活。

私を支えてくれたのが、そう、嵐さんでした。


お待たせしました(笑



沢山の曲、勇気付けられる歌詞、そして画面を通して見られるかっこいい5人、可愛い5人。
家に帰ると嵐さんに浸って、元気と笑顔をもらう毎日。


そしてその中でも特に、1つの曲と、1つのDVD。
本当に大きな支えになっていたものがあります。



曲は、
アルバム『Time』に収録されている『LIFE』。

この曲の、1番サビの歌詞。



人には言えない悲しみや
冴えない毎日が続いても
散らばっている輝きを拾い上げれば
もう少し進める気がした



この歌詞に出会わなければ、最後まで学校に行けてたか分からない。
それくらいこの歌詞に勇気づけられました。


「人には言えない悲しみ」にも「冴えない毎日」にも共感。そして、背中を優しく押し続けてくれました。


朝は1人で学校へ行っていたのだけど、
自転車に乗りながらこの歌のこの歌詞を何度も何度も口ずさんでいた。


今もこの曲を聞くと当時のことを思い出してしまって、やっぱり苦しくなる…。

でも、本当に大好きで大切な曲です。



そしてDVDは、『Time』コンのDVD。

セトリも凄く好きだけれど、とにかく良かったのが最後の松潤の挨拶。


「…皆これから色んなことがあると思うけど、俺がいるから。俺ら嵐5人いるから。」


他の4人の挨拶もそれぞれ素敵だし、相葉くんの涙にもらい泣きしそうになったりする中、この松潤の言葉はとてつもなく嬉しかった。

「いつか嵐さんに会える日まで、頑張ろう!!」
そう本気で思わせてくれました。





結局私は、中1の残りの日々は乗り越えたものの、中2になっても色んなことがあった。

今度はクラスの問題というより、アイデンティティの崩壊的なことが(笑)

結果的には先生や母に色々心配をかけて、沢山悩んで葛藤して。

自己も学年もほぼ安定した生活が送れたのは、中3の1年間くらいw

※因みに、お陰さまで第一志望の高校に入学することができたので、それは本当に良かったです(笑



葛藤している間も、
常に私を支えてくれていたのは嵐さん。


『ファイトソング』や『僕が僕のすべて』は勿論、

2010年のアルバム『僕の見ている風景』の『Don't stop』や『むかえに行くよ』や、

2011年のアルバム『Beautiful World』のニノソロ『どこにでもある唄。』にも凄く支えられました。



本当はあんな日々なんてなかった方が良かったし、自分の突然の変化で友達も減ってしまったし、無理に頑張らないで学校を休んでしまっても良かったのかもしれない。


ふいに当時の様々な出来事を思い出しては、自分の選択が正しかったのかを考えてしまうのは今も変わらず。




ただ確実に言えることは、
嵐さんのお陰で乗り越えられたことが沢山あったということ。

だから、私にとって嵐さんは大切な存在です。




いつか一言だけ5人と直接話せる機会が出来たとしたら、
「今までもこれからも本当にありがとう」
と伝えたいな。